『やがて哀しき外国語』(1994)
その昔、村上春樹公式HPというのがあって、ネット上で春樹様の文章を読む事が出来た。内容は詳しく覚えていないが、とにかくおもしろかったのだけは記憶にある。HPは何年も前に閉鎖されていますが。
そんなわけで、小説に負けず劣らず、春樹様のエッセイはいい。
『やがて哀しき外国語』(1994)は春樹様がアメリカ・プリンストンに滞在していた頃のエッセイで、これは特に、渡米予定のある方は読んでいて損はない。(と思う)具体的な情報というよりも、アメリカってこうなんだというのが、ちょっとわかるかも。文庫本の方には、親切に後日附記というのがおまけでついているので、更に楽しめる。
私もアメリカへはかれこれ12回ほど行っているものの、住んだ事はないので、アメリカという国はこーなんだ!などと語る資格はないのだが、配偶者がアメリカンなので、それなりの数のアメリカンに接してきて(特に十数年前の結婚当初はしんどかった)、共感というか、笑える部分が多かった。
プリンストン大(つまりは東部の超エリート大周辺)では、ビールの銘柄、読む新聞まで、決まり事がある。
だから、この国(東部の有名大)では、バドワイザーが好きで、レーガンファン、スティーブンキングを全部読んでいて、客が来たらケニーロジャースをかけるというような先生がいたら、あまり相手にされないのではないだろうか。
この分析には笑わされる。(まあ、労働者が飲むビールを飲んで、大衆の本や音楽を聞いちゃいかんってことだ)が、実際にそんな世界なんだろう。
そして、ここではみんなお金の話をしない。
春樹氏は、日本では小さい車に乗っていれば、「ベストセラー作家でお金があるんだから、もっと大きいのに乗ったらどうですか」的な事をよく言われるそうだ。春樹さまに限らず、こういう話は日本ではありがちだ。「(あなた)お金結構貯めてるんじゃないの~?」なんてのは普通の会話だし。
しかし、ここでは「お金?ああ、そういえば世の中にはお金みたいなものありますね」の世界らしい。春樹さまにとっては、そういうスノッブな世界(お金の事をとやかく言われない)にほっとしたらしいですが。
日本にもかつては知的階級性があったが、戦後マッカサーの階級制度の解体よって消滅してしまった。しかし、社会の大衆化、平準化ことが歴史の流れという観点で考えると、日本の方が良くも悪くも数段進化しているんじゃないか。そういう意味でアメリカの大学のスノビズムというもの、階級社会の最後の悪あがきなのかもしれない。と言った内容でまとめていて、特に日本がいいとかアメリカがいいとかいうものではないとことろがいい。
日米のマラソン大会の違い、またJAZZについてや、元気な女の人の話、ロールキャベツを遠く離れてでは、小説家になるまでの人生について、またプリンストンの学生とのやりとりなどが興味深い。
マラソン大会では、アメリカはそう大きな大会でなければ、当日飛び入り参加もオーケー、しかし、日本は締め切りというものがある。それは名簿作りのため。たかが10kmそこらのマラソンに何故、名簿が必要なのか?またそこには所属団体も書かなければならず、例えば、「東京電力走友会」とか「東京都庁」とか、「○○走ろう会」みたいな団体名が書かれているらしい。少数派の個人参加は「所属なし」と記入されていて、なんとも複雑な気分にさせられる。正直言って、そんなことをよく晴れた気持ちの良い日曜日の朝からいちいち実感させてほしくないと思う。
元気な女の人というのは、アメリカ人女性についてであるが、春樹さまが奥さんについて何をしているのか、と尋ねられるとき「何もしていません。ハウスワイフです」という答えは許されないという雰囲気、「なんか他にやっているんでしょ」と言わんばかりの態度を感じるというの、わかる気がする。
女性の自立、フェミニズムには敏感な国だもんね。欧米というのはだいたいそういうもんでしょうが。
私も確かにアメリカ(人)で、What do you do for a living?
という質問をされた事が何度もある。
意味としては、仕事は何なの?と言う事だが、for a living、つまり生活の為に何をしているのか?つまり自立してるのか?というニュアンスを感じる言い回しである。(個人的に)
ちなみに私の場合、幸い?専業主婦ではないので、accounting(会計、経理)をやっている、と答えるようにしている。(事実そうだし)こう答えると、その後にいろいろ聞かれることが少ない。より専門的で具体的な方が一回でシャットアウト出来るってことかな(笑)
これが、例えばoffice work(一般事務)などと答えると、「具体的にどんな事?」などとつっこまれる。「コピー取ったり、お茶出したり・・・」などと言おうものなら、相手のテンションが一気に下がることだろう。また同じ経理の仕事でもbookkeeping(帳簿付け)だとちょっとしょぼい感じがするのか、会話がそこで終わったりする。
ヒエラルキーの風景では、プリンストン大に派遣されている日本人の官庁や大企業のエリート達についての事が書かれている。会って挨拶をした後から「実は私の共通一次の成績は何点でしてね」などと会話を始めるエバッた変な輩がいて、困惑したとか、ちょっと日本では考えられない方たちがいたらしい。
さて、この本はまた、あとがきが素晴らしい。日本語との葛藤や、タイトルのやがて哀しき外国語の意味など興味深いものがある。「悲しき」じゃなく「哀しき」の意味がわかる。
気楽にさーっと読めてしまうエッセイ集です。おもしろかった。
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